韓国紙「明治維新が成功したのは運と実力が半々」「我が国はどちらもなく…近代化できず」

韓国紙が19世紀に近代化に成功した日本と、失敗し日本の植民地となった自国について、その要因を分析した記事を掲載している。朝鮮での攘夷論、そして日本の武士階級が果たした役割に注目している。
 
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プレシアン紙は、ソン・ホチョル西江大名誉教授の寄稿文『朝鮮両班と日本サムライが国家の運命を分けた』を掲載した。

ソン教授は、マキャベリの『君主論』にある「運命とは、私たちの行動の半分についてのみ仲裁人であり、残りの半分は大抵私たちの人間によって支配されている」という言葉を引用し、西欧帝国主義が東アジアに進出してきたとき「非西欧国家のうちで自主的な近代化に成功し後発帝国主義国家として浮上した日本と、近代化に失敗し日本の植民地に転落した朝鮮という北東アジアの両極分化を考えると、ふと浮かんだのがまさにこのマキャベリの分析だった」と述べ、それは「運が半分、実力が半分」だったとの見方を示す。

ソン教授は1853年、米ペリー提督が日本の浦賀に来航した「黒船来航」について言及。「日本は自分たちが保有した最大の船の数倍に達する膨大な大きさの軍艦に驚いた」とし、「日本は結局開港した」ものの、「日本の運が良かったのは、以後、米国が南北戦争(1861年~1865年)に陥り、相当期間、日本に戻ってこなかったという事実だ」と指摘する。ソン教授は「これが日本に《息を出来る空間》を提供することになり、この空白期間を利用して日本は1868年の明治維新などを通じて自主的近代化に成功することができたのだから」と述べている。
 

「辛未洋擾」事件で戦死した朝鮮軍/NARA
 
ソン教授は、「一方で、私たちには運も実力もなかった」とし、朝鮮が米国と初めて遭遇した1866年の「シャーマン号事件」を取り上げた。当時、平壌付近の羊角島に現れた米国商戦ジェネラル・シャーマン号は平壌で貿易を開くため大同江を上るが、江水の減水により座礁し,民衆に放火されて全乗組員が焼死・溺死した。これによって当時の朝鮮王朝は「米国は大したことがない」と油断するようになり、その直後の「辛未洋擾」事件(シャーマン号事件後に起きた朝鮮と米国の交戦)で惨敗を喫したにも関わらず、米軍艦の長期滞在が難しく撤退するや「米国を打ち破ったという錯覚に陥るようになった」とソン教授は指摘する。

そのような錯覚によって「自らの近代化のタイミングが遅くなり、結局日本によって強制的に開港させられたのに続き、日本の植民地にならなければならなかった」とソン教授は嘆いている。

ソン教授は、朝鮮と日本が、それぞれ米国に接した経験において「重要な違いがある」とし、「それは開港が避けられないと感じた日本の指導者たちの現実主義的な判断」を持っていたのに対し、朝鮮は「対照的に《斥和論》(攘夷論)という支配層の情けない自閉的情勢認識」によって国を奪われたと嘆いている。

ソン教授は一方で、当時の支配下級である日本の武士と朝鮮の両班(ヤンバン=貴族)の違いについても注目し、明治維新という「上からの革命・近代化」が成功できた理由として、武士の多くが「両班を含む多くの中世の支配階級とは異なり、土地で結ばれていなかった」とし、「したがって、彼らは日本の封建的支配秩序に対し《相対的自律性》を持っており、この相対的自律性が幕府体制という日本の封建体制を崩して近代化を主導できるようにした」との見方を示している。

一方で、朝鮮を動かした両班については「農地を持つ地主という《経済的支配階級》でもあった」とし、「したがって、彼らは封建的秩序と経済的支配階級から相対的な自律性を持つことができず、彼らと運命を共にするしかなかったのだ」と述べ、彼らは自分たちの階級的利害関係を守るためにも開港と近代化に反対し、封建的秩序を守る攘夷論を取るしかなかったとソン教授は説明している。
 
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