韓国紙が日本の芋焼酎は、朝鮮式の陶器によって発展したとの記事を掲載している。
韓国経済新聞は9日、ミョン・ウク世宗サイバー大教授の寄稿文『朝鮮人陶工が作った陶器…鹿児島の銘酒を造る』を掲載。鹿児島発祥の芋焼酎は朝鮮人陶工が作った陶器と関連が深いと主張している。
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ミョン教授は「日本で最も普及した蒸留式焼酎に芋焼酎を欠かすことができない」とし、「芋焼酎の代表的な生産地域は、日本列島最南端の鹿児島県。日本のサツマイモ生産の30%を担当する主産地である」と指摘。
ミョン教授は、鹿児島芋焼酎は、大韓海峡にある対馬、壱岐とは異なり、韓半島から渡って来たという主張を見つけることができない」としつつ、「代わりに、中国との往来が多かった沖縄由来説が最も有力である」と伝えた。
しかし、「鹿児島の芋焼酎も私たちと縁がある」とミョン教授は指摘する。曰く、「酒を造るときに最も重要視するのが穀物、麹、水、そしてそれを入れて発酵と熟成させる陶器だ」と説明した。
続けて、「鹿児島の焼酎は、伝統的に陶器に入れて発酵と熟成をする」とし、「土から造った陶器は、内部の温度を維持し、安定した発酵と熟成に役立ち、良い味にする」と述べた。そして、「この地の陶器文化が私たちの歴史と接続されている」とし、「壬辰倭乱、丁酉再乱(文禄慶長の役)時、朝鮮で拉致された陶工たちが影響を及ぼした。そのため日本では、この戦争を陶磁器戦争とも呼ぶ」と伝えた。
ミョン教授は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の遠因に、「日本の茶道が確立され、茶を入れる陶器が欲された」とし、「中国陶器は派手すぎたので、素朴な美を持った朝鮮の陶器が欲された」と指摘。それが「数百人の朝鮮人陶工を拉致した背景だ」とミョン教授は言及した。
ミョン教授は、鹿児島の大名・島津義弘が南原城(ナムウォンソン)郊外に住んでいた朝鮮人陶工40人を集団で拉致し鹿児島に連行したこと、鹿児島の苗代川に朝鮮人の集団村を作ったこと、明治維新まで朝鮮式陶器と磁器の生産をさせたこと、彼らが作った陶磁器がオランダに輸出され幕府の莫大な収入源になったと指摘。
ミョン教授は、「薩摩陶器は今でも韓国の風俗をそのまま保つ」とし、陶工の子孫家の窯が現在も鹿児島にあり、朝鮮式の回転製法を保っていると述べている。
ミョン教授自身、3度に渡り鹿児島を見学。ある学芸員は、彼に対し「朝鮮の陶工のおかげで鹿児島焼酎がさらに発展した」とし、「そして日本人として韓国人に申し訳ない」と語ったと伝えた。
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