半導体ビジネスは“静かな殺し合い”だ。勝者がすべてを奪い、敗者は工場も技術者も市場も失う。そんな狂気の産業を、私たちは普段意識しない。しかし今、この戦場でかつての覇者・サムスン電子が敗北寸前に追い込まれている。何が起きているのか。そしてなぜ、それが一般の私たちの生活にも直結しているのか。
赤い海のルール──ゼロサムとは何か?
「ゼロサム」とは、誰かが得をすれば、誰かがその分を失うという、勝ちと負けがぴったり一致する構造を指す。ビジネスの多くは本来、非ゼロサムで、企業が共存・棲み分けしながら市場を広げていくことが可能だ。たとえば自動車産業であれば、トヨタとホンダ、メルセデスとBMWが競い合いながら、それぞれにファンを抱えて成長してきた。
しかし、こと半導体産業、特にその**最先端領域に限っては、極端にゼロサム性が強まる。**なぜなら、製造技術の難易度が異常に高く、顧客側(AppleやNVIDIAなど)が「失敗を許さない」からだ。設計と製造を分離する現代のサプライチェーンでは、一度でも製造でつまずけば、顧客はそのサプライヤーを見限り、ライバルに発注を全て乗り換える。
これが、「勝者がすべてを取り、敗者はすべてを失う」ゼロサムの赤い海だ。
ただし、すべての半導体がこのような構造にあるわけではない。NANDやDDRといった汎用メモリや、28nm以降の成熟したロジック製品など、レガシー領域では複数社が並び立ち、非ゼロサム的な競争も成立している。重要なのは、“もっとも利益率の高い上澄み”の取り合いにおいて、ゼロサム性が最も強烈に現れる、ということだ。
サムスンの迷走──AI戦争の特等席を逃す
サムスンがつまずいたのは、高性能メモリ「HBM(High Bandwidth Memory)」での品質認証だ。これは、AIチップと一体化して使われる次世代メモリで、性能と信頼性が極めて重視される製品群。とくにHBM3E(第3世代・改良版)は、現在のAIブームを支える最重要部品のひとつだ。

2023年、サムスンは世界初となる12層構造のHBM3E「Shinebolt」を発表し、先手を打ったかに見えた。だが、発熱と消費電力の課題がネックとなり、NVIDIAからの品質認証(クオール)を取得できずにいる。しかも、その延期はすでに三度目。Googleはすでに採用を見送り、NVIDIAもSKハイニックス製のチップを優先する構えを崩していない。
これは単なる一製品の遅延ではない。AI戦争の最前線から、サムスンが外されつつあるという、極めて深刻なシグナルなのだ。
静かに王座を奪ったSKハイニックス
この隙を突いたのが、サムスンと同じ韓国のSKハイニックスである。HBMという一点に技術とリソースを集中させ、8層・12層のHBM3EでNVIDIAから認証をスムーズに取得。AIチップ「GB200」への独占供給を勝ち取り、業界での存在感を急速に高めている。
さらに2025年第一四半期には、DRAM市場全体でシェア36%を記録し、ついにサムスンを逆転した。SKは小規模ながらも、AI市場という“今もっとも旨味のある上澄み”を一気に持っていったのである。
この戦術はまさに、狙撃兵が一発で戦車の急所を撃ち抜くような戦い方だ。正面から全方位で戦うのではなく、局所に全エネルギーを投入し、戦局そのものを変えてしまう。この“局地戦型電撃国家”こそが、今のSKハイニックスである。
中立にして覇権──TSMCという怪物
そして、この戦場の支配者は、台湾のTSMC(台湾積体電路製造)である。TSMCは自社では設計を行わず、AppleやNVIDIA、AMDといった世界中の“設計国”たちから設計図を受け取り、それを2nmや1.4nmといった最先端の製造プロセスで形にしていく。
このスタンスは、しばしば「スイス」に例えられる。中立で精密、どの国からも信頼される。だがそれだけではない。TSMCは、まるでSWIFT(国際銀行間決済網)のように、世界中のロジック半導体を“通さずにはいられないシステム”に組み込んでしまっている。
自らは戦わず、ただそこに“製造という滑走路”を提供するだけ。それでも、TSMCが止まれば世界が止まる。
この構造が、TSMCをして「戦わずして勝つ、中立覇権国家」と呼ばせるゆえんである。
微細化とは何がスゴいのか?
記事中で何度か出てきた“2nm”や“1.4nm”とは何か。それは、髪の毛の5万分の1の幅に電子を通す配線を正確に彫り込む作業である。これを可能にするのが、オランダのASML社が独占的に製造するEUV(極端紫外線)露光装置だ。1台数百億円ともいわれるこの装置なくして、先端ノードの量産は不可能である。

道幅が狭くなるほど、電子は短距離で走れる。つまり、処理速度が上がり、消費電力は下がる。スマホはより快適になり、AIはより高速に学習する。しかし、配線が詰まれば全体が機能しない。だからこそ、この世界では「微細化できるか、できないか」それだけで生死が決まる。
現在、TSMCは2nm量産にもっとも近い場所におり、熊本の日本拠点でも準備が進む。サムスンも韓国・米国テキサスで追撃しているが、歩留まりや供給信頼性の面で遅れをとっている。
サラリーマンのあなたに、なぜ関係あるのか?
ここまで読んで、「自分には関係ない」と思う方もいるかもしれない。だがそれは大きな誤解だ。スマートフォン、クラウドサービス、AIチャットボット——あなたが日常的に使っているツールはすべて、半導体によって動いている。
そして、供給が不安定になれば、価格は上がり、企業のIT投資も滞る。コスト増は回り回って人件費や業績を圧迫し、あなたのボーナスや昇給に影を落とす。
1990年代、日本のIDM型半導体メーカーがサムスンとの投資競争に敗れ、NECや日立、東芝などは事業の縮小・撤退を余儀なくされた。直接の因果関係を断定することは難しいが、それは国内技術職の減少、地方産業の空洞化、そして長期的な製造業の地盤沈下と時期を同じくしている。半導体の競争に敗れることが、国家の“成長力の土台”を揺るがすという教訓は、今もなお重い。
エンドゲーム──すべては2025年後半に決まる
サムスンが2025年後半、HBM4の量産に成功できるか。2nmプロセスを立ち上げられるか。その2点が、この帝国の生死を分ける。
TSMCの独走を許すのか、SKの電撃戦に再びやられるのか。あるいは、起死回生の反撃が成るのか。
世界は静かに見守っている。そしてその行方は、あなたのスマホの値段、あなたの生活、そしてあなたの会社の未来にまで波紋を及ぼすだろう。
ゼロサムの戦場で、次の覇者が誰か──その答えは、もうすぐ明らかになる。
(編集:コリアテックエコノミー編集部)